世界的ピックブランド「PICKBOY(ピックボーイ)」を皮切りに音楽周辺用品を次々と展開していった株式会社ナカノ。その中でも知育楽器の取扱いを始めた理由には知られていない背景があった。

本物にこだわることを軸とした事業展開

―PICKBOY(ピックボーイ)が株式会社ナカノの原点であるということがわかったところで、その後なぜ今のようにステーショナリーや知育楽器を扱うようになったんですか?

1970年代高度成長期に入ると女の子がいる家庭ではピアノ所有が一般化し、ピアノを覚えるために音楽教室が増えました。ピアノ発表会が開かれ、ピアノ型の譜面クリップなど音楽をモチーフにした音楽ステーショナリーや音楽雑貨の需要が増えてきたことが背景にあります。

音楽製品といえば、楽器などの「音の出る製品」を中心に開発され、発展していきました。「音の出る製品」は既に先駆者が多くいて、先人たちの庭を荒らすようなことになると思ったわけです。そこで、音楽雑貨ステーショナリーや音楽雑貨の事業を開始したんです。

当時、ピックや音楽ステーショナリー、音楽雑貨を海外へ卸していまして、ピックは当時他のメーカーが実現できていなかったピック表面に凹凸をつけてグリップをつける技術の開発に成功し、技術力が国外に買われたということも起きました。

ドイツ見本市に出展したことが、世界への足掛けとなり、音楽ステーショナリーや音楽雑貨が広まっていったんです。

また、音楽をモチーフにしたステーショナリーギフトは当時海外に無く、海外で人気のお土産になっていました。ドイツのお土産としてナカノの商品を購入する日本人観光客の方までいたほどです。(笑)

―先駆者の庭を避けて事業を始めるというのはなかなか勇気のいるご決断ですよね。例えば中国など、大量生産を得意とするプラットフォームなど、いろいろと壁がありそうなものですが、なぜ今日に至るまでステーショナリーや雑貨が普及していったんでしょうか?

ドイツ見本市に出典したと言いましたが、当時オペラなどは、だんだんと豪勢なものになっていき、音楽専門のミュージアムショップとして、大人向けの小物のニーズがでてきたという時代背景などもあったと思います。

音楽ステーショナリーや音楽雑貨の事業もやがて後発企業が出現し、併せて高度成長期も終焉を迎え、小売店も減少していったということも経験しています。リーマン・ショックで価格競争に陥り、価格と反比例して中国製品の質が高まったわけですが、価格競争の流れに身を任せすぎないようにあくまで本物を追求するという姿勢を守り続けたことが今日のナカノの製品の根本の支えになっているんだと思います。
そんなこんなで、新しい商品の柱が必要であると感じ、子供向け知育楽器に目をつけていったという大きな流れがあります。

中埜社長

当時のことを思い返す社長

息子のためにつくった知育楽器

―なるほど。知育楽器は需要が伸びると思ったんですか?

もちろん、必要としてくれる人はいると思ったんですけど、そこまで市場的な推測はなく、実は息子のためにつくったんです。百貨店やおもちゃ屋をのぞいても子供っぽ過ぎて、楽器屋に行くとサイズが合わない。なので自分でつくってしまったんです。(笑)それから子どもとはリビングなどで遊びますよね。だから、自分が見ていても飽きのこないシンプルなデザイン、そして丈夫で長く使える、そんな楽器を目指したんです。こだわったんですね。当時インドでアメリカの楽器メーカーの下請けで、コンガやボンガを制作している業者さんを知っていたので、そこに子ども用の楽器を作ってもらうように頼んだんです。それでできたのが、自分の子どもにも安心して使わせられる楽器ができたわけです。

―愛情から生まれたみたいなところがグッときました。子どもができたらこういうものを使わせたいです。(笑)

知育楽器へ込めた想いが広がる

―確かに大切な子どもにはホンモノに触れてほしいなって思いますよね。子ども向け楽器ってやっぱりキャラクターが優先して、チカチカするほどカラフルで、みたいなのを想像します。

そうですね。もちろんキャラクター楽器も楽しさがあります。愛着のあるキャラクターと一緒にいるような楽しい気持ちになれます。

たまたまちょっと音や質感へのこだわりの強い親だったというだけです(笑)お子さんに楽器を買うというのは、想像力や表現力を伸ばして欲しいっていう想いが少なからずあると思うんです。5年後、10年後の子どもさんは電子音でピコピコするのがメインなのかもしれませんが、質の良い楽器というのはいろんな表現ができるんです、例えばマラカスをシャッシャッシャッと振るか、横にスースースーと滑らせるか、柔らかいソファを叩いてみるか、堅い床をポンと叩いてみるか、自分がやる動作によって、音が変わるんです。そのモノ時代への愛着も持っていただきたいのですが、そうした音の面白さにも気に入ってもらいたいんです。力加減や動きという自分の意思が音になることでそれがもう表現ですから、いろいろなことをやってみれるように丈夫で、なおかつ木製で優しくお子さんに優しく寄り添う存在になって貰えればなと考えていました。

そんな想いで始めた知育楽器でしたが、著名人の方に使っていただいたり、雑誌などで取り上げていただけたことで、徐々に認知していただくようになり、おかげさまで拡がっていきました。